困難を極めた開墾・・・

木の伐採から開墾が始まる

開墾に励む村人
蚊やブヨなどに悩まされながら、入植最初の年は、ソバや大根が収穫できたくらいで、北海道の早い冬が訪れていた。
子どもの教育に熱意を注ぐ・・・

子どもの教育には力を入れた

私立文武館
この、教育に対する熱意は、今日に至る新十津川の伝統となっている。
水田が広がりはじめる・・・

米作が始まる

灌漑用の施設整備が行われる
明治35年の二級町村制施行、40年の一級町村制施行へと。きわめて短期間での一級町村昇格は新十津川の急速な発展を示すものであり、入植者たちの不屈の取り組みの賜物であったといえる。
一大米作地帯へ発展し・・・

偶然、実った稲を見つける

大正初期の橋本町の様子
水田の開墾に加えて「玉置坊主」という冷害に強い水稲品種を開発、これによって道内でも第一級の米作地帯となった。
石狩川の洪水に備えた治水事業もこの時期に取り組まれている。
そして現在へ・・・


現在の街並み
しかし、昭和30年の1万6199人をピークに人口は減少傾向をたどり、他の多くの農山村と同じく過疎という新たな課題を抱えていく。
さまざまな時代の変化に揺れながらも、新十津川は未来に向かって着実に歩み続ける。 絵:井上正治さん
お問い合わせ
総務課企画調整グループ電話:0125-76-2131
FAX:0125-76-2785