それは水害から始まった・・・

嵐は数日続いた

川がせき止められ湖が出現
その中に「鳥も通わぬ十津川の里」と太平記にかかれた山村・十津川村があったのである。山や谷壁がなだれ落ち渓谷をせきとめ、せき止められた大量の水が堰を切って濁流となり、怒涛のように向かっていく…。
壊滅的な被害に・・・

今後の生活再建が話し合われた

山崩れの負傷者と医師
生活再建のため、移住が話し合われハワイなどの海外や国内の未開懇地が候補にあがった。
北海道へ移住を決意した・・・

故郷を見納め北海道へ

船で小樽に着く
このころ約1200キロ離れた北海道では、屯田兵制度に続いて明治19年には植民計画が採用され、全道的な開発が始まろうとしていた。特に樺太経営とロシア南下への防備対策から、石狩平野開拓は緊急課題であった。
初めての北海道の冬を・・・

囚人に助けられ雪の中を進む

初めての厳しい冬が訪れる
そんな中でも、トック原野への入植準備が進められ、新しい村の名前も決められていった。また、一致団結して開拓を成功させようと「移民誓約書」が起草された。
雪解けを待って石狩川を渡る・・・

石狩川を船で渡ってトック原野へ

原生林を測量し、区画割が行われた
水害被害から10カ月、政府の保護を受けた十津川移民は、現在につながる最初の一歩をこうして入れることとなった。
大木が生い茂る未開の大地、厳しい自然が移住者の前に立ちふさがる。
絵:井上正治さん
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